映画祭スペシャル座談会/前編
ポレポレ東中野にて5月14日〜 絶賛公開中の映画『距ててて』!
その公開を記念し、『距ててて』が入選した3つの映画祭【ぴあフィルムフェスティバル】【TAMA NEW WAVE】【田辺・弁慶映画祭】の関係者をお招きしてのスペシャル座談会を実施しました!
ご参加いただいたのは、ぴあフィルムフェスティバルから新谷和輝さん、TAMA NEW WAVEからウスバアミさん、田辺・弁慶映画祭から澤山恵次さんの3名。
自主映画界を彩るそれぞれの映画祭の魅力とは?
そしてカラーの異なる3つの映画祭で入選した『距ててて』の魅力とは?
小原:今回はお集まりいただき、ありがとうございます。
この座談会は前半で各映画祭の特性や各々が考える自主映画の魅力などを語っていただき、後半はそうした状況の中から選ばれた『距ててて』の魅力について語ってもらえたらと思います。こうやってそれぞれの映画祭に関わっている人同士が集まる機会って今までなかったので、今自主映画を撮っている方や映画祭に応募しようと思っている方にとっても何かしらの発見がある座談会になったらいいなと思います。
まずは簡単な自己紹介をお願いします。
新谷:新谷(にいや)です。
ぴあフィルムフェスティバル(以下PFF)のコンペティションには毎年500本くらい応募があります。そこからアワードに入選する作品を大体20本ぐらいに絞り込むセレクションメンバーが15、6人いますが、その1人です。2018年から続けています。
普段は大学院でラテンアメリカの映画を研究していて、『キネマ旬報』や『ユリイカ』にたまに書いたり、字幕翻訳をしたりしています。もともと大学生の頃に東京学生映画祭の運営をしていて、その後PFFの一般審査員に応募して、一般の方3人でアワードの入選作品を見て、グランプリや他の賞とは別に一般審査員賞を決めました。
その翌年にPFFから「セレクションの方に入ってみない?」と声をかけられました。
ウスバ:TAMA映画フォーラム実行委員会の実行委員のウスバと申します。
TAMAは完全にボランティアで、市民団体の映画祭って感じが強いです。私は実行委員に参加して4年目ですけど、実行委員は原則として多摩市に住んでいる人や働いている人という条件はあっても、メンバーの中で多摩市在住・在勤じゃない人も全然いますし、やってみたいと思えば誰でもやれるような感じはあって。
TAMA映画フォーラムのプログラムの柱の一つにTAMA NEW WAVE(以降「NW」)があります。実行委員全体は40~50人ぐらいですけど、その中でNWの選考に関わっているのは20人ぐらい。そのメンバーで会議を重ねて上映作品を決めます。
去年のコンペティションでは『距ててて』を上映しました。普段は映画と全く関係ない仕事をしているんですけど、今の職場の上司が多摩市のまちづくりに関わっている人で、それもお手伝いさせていただくようになって。私、元々多摩市民ではなくて数年前引っ越してきたんですけど、これから自分の中の多摩市民感が増していくのかなって思ってます(笑)。
澤山:澤山(さわやま)です。
田辺弁慶映画祭では最初が有識者数名、その後は事務局を含めて数十名で審査をして、ノミネート6-8本を決めています。更に入選作品の中から選ばれる賞の中の一つにキネマイスター賞があって、私は去年その部門で審査員を務めました。キネマイスターはもともとはキネマ旬報が映画検定を発足したときに一級を取った人に田辺弁慶映画祭で審査員をやってもらうというところから始まったのですが、映画検定自体を毎年やらなくなり、そこで映画検定1級の人だけという縛りも変わりました。
今の参加条件は「年間50本以上映画を見た人」または「映画検定合格者(級は不問)」です。それで応募してきた人の中から事務局がキネマイスターを10人ぐらい選んで、みんなで和歌山まで行って、田辺弁慶映画祭に入賞した作品の中からグランプリや俳優賞とは別にキネマイスター賞を選びます。
もともとは30年ぐらいサラリーマンをやっていて、早期退職したあとにフィルメックスのボランティアをやったり、今は東京ドキュメンタリー映画祭の事務局にいたり、いろんなところでいろんな人と出会い、その縁のおかげで現在に至ります。
小原:一応僕も。ポレポレ東中野のスタッフの小原(おはら)と申します。
今回『距ててて』を当館で上映させていただくのですが、監督の加藤さんと脚本の豊島さんが中心になって自主配給という形でいろいろ頑張ってくれていて、僕も微力だけど協力する中で今回の座談会も宣伝の一環として企画しました。ちなみに僕も2年前までPFFのセレクションメンバーをやっていたので、その経験からもお話しできることがあればと思います。
小原:それぞれの映画祭の審査基準と審査過程を話せる範囲で教えて下さい。
澤山:田辺・弁慶映画祭は審査基準は明確には公表していませんが、観るポイントとしては映画としての技術的な完成度よりも作者が作品を通して伝えたいことをしっかりと持っているかどうか。一定レベルの技術的水準を満たしていることも必要です。プロとして映画の世界を目指す姿勢を持っていることを考えているかどうか。おそらくこの辺りだと思います。
小原:「プロ」という言葉が出てきましたが、確かに田辺・弁慶映画祭はテアトル新宿やシネリーブル梅田の興行とも連動しているのが特徴ですね。
澤山:そうですね。
小原:公募作品から入選作品を決める人は誰ですか?
澤山:映画有識者+映画祭事務局で公募作品を審査の上、合議で入選作品を決定するみたいです。
小原:澤山さんはその入選作品からキネマイスター賞を選ぶんですよね。
澤山:キネマイスターとしての僕自身の審査基準を言えば、この人これからも撮るだろうか?を考えます。その作品が素晴らしくても、そこで燃え尽きる人っているんですよね。じゃなくて、これからもいろんな作品をこれからも撮ってほしいし、そういう人かどうかを、見極められるわけないんですけど、見極めたいなと思う。
形式としては一応項目別に採点表があって。演出力とか。新しさとか。それで総合点をつけるんです。それで集計をとって順位を決めて。生々しいはなしになっちゃうんですけど(笑)。この作品は残す残さないを常に確認しながら議論が進んでいきます。そこで意見がやっぱり割れるんですよ。そこで話し合いを進めていく中で順位が変わるってこともめちゃくちゃあります。
小原:グランプリや他の賞を決める時も同じ審査方法ですか?
澤山:どの賞も規定のフォーマットをベースとし、審査員が合議で決定しています。
小原:TAMA NEW WAVEはどうですか?
ウスバ:具体的な審査基準とか審査方法ですよね。これ、どこまで話していいんだろう?(笑)
小原:とりあえず今日は話せることは話してもらって。最終的にそれぞれの映画祭からOKが出た箇所だけを掲載するので(笑)。
ウスバ:(笑)TAMA NEW WAVEは「映画界に新風を送り込む新しい才能の発見」を目的に掲げていて。実際、自分たちが審査する時も「NWらしさ」を基準に選んでいます。
とはいえ、初めて審査に参加される方などは「NWらしさとは?」となるんですけど、根本的には審査する実行委員の好みが強く反映されているのかなって思いますね。
小原:先程も「市民団体の映画祭」と説明があったように、審査する方の「やってみたい」という気持ちを大切にされている印象を受けました。初めての審査でも心置きなく意見を言えるような状況を映画祭側が作ることも大切だと思うのですが、その辺りはどうですか?
ウスバ:長年NWで活動しているディレクターも含め全員で観て、議論を重ねまくり平和的に決めていくって感じですかね。先程お話しした審査員ごとの好みや、「候補の作り手さんたちの作品を今後も観てみたいと思うか?」とか、あとは演出力、脚本の固さなどの技術面とかいろんな方面から意見を交換します。
それと、審査員みんなで共通のフォーマットを用いて審査するので、普段自主映画を観ない人でも審査がしやすいんですよね。私もTAMAに入るまでは邦画系のインディペンデントはあんまり見てこなくって。
澤山:普通はそうですよね。
ウスバ:TAMAに入ってからNWの存在も知って、審査に関わることになって、一観客としても自主映画って面白いなって思えるようになって。
これは完全に自分が一映画ファンとしてよかったと思うことですけど、作品を審査するための視点が身についたことで、映画も普段から多面的に観られるようになったかなって。
小原:田辺・弁慶映画祭は入選結果を審査会議の場で決めるということでしたが、TAMAニューウェーブも?
ウスバ:そうですね。まず、審査員4〜5人ずつぐらいのチームに応募作品が振り分けられて、それらを審査するのが一番初めの段階です。チームごとでの観賞作品を振り返る場があって、それを経て各チームの推したい作品たちが絞られます。で、その次は、各チームで選ばれた作品たちを審査員みんなで観賞したあと議論して、最終的な入選作品を決めます。作家が今後も映画を撮っていくのか、あとは将来性とか、NWの審査員の中でもそこを考えたうえで審査している方もいますが、私の場合は、まず作品がいろいろな面で面白いか、グッとくるポイントがあるかで審査しますね。
新谷:ウスバさんが「新しさ」と言いましたが、PFFの審査基準もそこは似ていて、つねに「新しい才能」を求めています。だから田辺弁慶の「商業的」という方向性とはちょっと違うかなと思います。商業性があってもいいですが、PFFでは「新しい映画の可能性」を見つけ出してほしいと伝えられているので、そこは毎年意識しています。
作品の完成度が多少低くとも、「この作品を作る人は面白い!」と思える何かがあったら、それを逃したくない。
小原:澤山さんとウスバさんのお話を聞くと、(PFFの)審査方法はちょっと違う。
新谷:PFFの審査は2段階あって、一次審査では応募されてきた500本ぐらいを、1本につき最低3人(今年は4人)のセレクションメンバーで手分けして見て、そこで通った作品を2次審査で全員で見ます。審査方法ですが、おふたりの映画祭のようにチェックシートやフォーマットのようなものはまったくありません。その作品の素晴らしさをどれだけ伝えられるかは、審査員の語りにすべて託されています。
2次審査では、一次審査で通った作品をディレクターの荒木さんも加わって審査員全員で見て、丸二日間話し合います。2次審査の場では他の審査員だけではなく、荒木さんに向けても作品の評価をできるかぎり伝えなくてはなりません。最終的にアワードの入選作品を決めるのは映画祭のディレクターである荒木さんだからです。各作品を点数化したり、多数決で決めることはなくて、審査員それぞれの意見をもとに荒木さんが最終的に判断するというかたちです。映画祭ディレクターというしっかりした軸が一つあってそれが変わらないことが、PFFらしさでもあると思います。
小原:審査する際に心がけていることは?
新谷:僕はなるべく先入観をぬきにして見ようとしています。PFFからは個人的な好き嫌いの感覚では選ばないようにと言われています。もちろん個々人の視点や好みはどうしてもあるのですが、それに偏りすぎずに色々な角度から判断したい。
事前に知らされるのは監督名とタイトルだけで、何の映画か全く分からない状態なので、こちらも事前に情報も入れずにまっさらな状態でどう自分が反応するかを気にしています。だから何年やっても慣れないというか、つねに自分が映画に壊されていくような感覚があります。
小原:ちなみに僕が初めてPFFのセレクションメンバーを務めた時にディレクターに言われたのは「才能を見逃さないで」でした。でも何をもって才能とみるかは審査員それぞれ違うし、しかも自主映画は映画作りの動機や目的が作品の数だけバラバラだから、それを同じ土俵でふるいにかけること自体が理不尽な状況だと思う。
いろんな自主映画が増えているのであれば、その魅力を測る物差しの種類も審査する側が増やさないといけない。これから売れそうな人とか、話題になりそうな作品とか、業界の即戦力になりそうな人とか、そんな限定的な価値だけじゃない、自主映画独自の価値を見つけるための物差しを審査した作品の数だけ持たないと自主映画の審査はできない。
新谷:こっちから柔軟にしないとその辺は選べないですよね。
ウスバ:これはNW全体の話じゃなくて完全に私個人が心がけていることですけど、私も作品リストが来たときに解説とか説明とか添付されていてもなるべくそれは見ない。作品を見終わった後に補足情報的な感じであらすじとか読んで、「この作品で特に強調して描きたかったのはここなのか」とか補完しつつ、でもその前に自分が感じたことも大事にしつつって感じですね。
あとは当たり前ですけど、絶対全編ちゃんと最後まで見るっていう超基本的な事ぐらい。でも自分のセンスに全振りしている感は否めないですね。
新谷:PFFのセレクションメンバーは、たとえば映画館で働いている人や、俳優、監督など、色んな立場の人がいます。ジェンダーバランスにも気を使っていて、セレクションメンバーはほぼ男女半々です。
性別の違いによって異なる視点があると思いますし、このバランスは大切です。
ウスバ:TAMAは特に男女比を決めてないんですけど、どっちかっていったら男性の方が多いのかな?でも女性メンバーも全然いますね。あとは、TAMA映画祭の場合はNWとは別にTAMA映画賞にも審査を担当する実行委員たちがいて、そこもまぁ大体男女半々くらいだと思います。
メンバーの性別の均等性は意識せず、結果的にそうなっているんだと思います。年齢もバラバラで。学生の方もいるし、上は70代ぐらいの人もいて。まぁでも20~40代が一番多いと思います。
小原:(座談会を聞いていた加藤と豊島に向かって)おふたりに聞きますけど、どういう人に審査員やってほしいですか?
一同:笑
小原:いや(笑)。でもホント、一作り手の個人的な本音って映画祭にはなかなか届かないけど、根本的な問題としてめちゃくちゃ大事だと思っていて。
ウスバ:うんうん。
新谷:大事大事。
加藤:(しばらく考えて)私たちの映画の作り方って、俳優2人で企画・製作をするところから始まり、撮影・録音・照明以外のスタッフワークは出演している俳優で手分けして行っている、という、部署が分かれているのが基本である映画の現場から見ると特殊な作り方だと思うんですよね。まあそれは『距ててて』に出演してくれた俳優全員が映画美学校のアクターズコースの同期であるというのが大きいんですけど。でも自主映画ってたぶんみんな特殊というか、それぞれで作っているので、そういった多様な作り方を容認してもらえるような場所だといいなと思っていて。
そもそも映画の見方って色々あると思うので、偏らず、いろんな価値観を持った方たちにいろんな視点で観てもらえる方がいいなと思いますね。
豊島:私は自分自身が映画を作ってはいるけど、もともと凄く映画が好きで沢山見てきたかというと、そういうわけでもなくて。だからこそこういう作り方になってると思うんですね。自分が学校で映画の作り方を学んでいたらたぶんこういう作り方にはなってない。勿論こうして映画を作り始めてからは一層興味が増してもっと見たいなって今はなってるんですけど。
審査員の方も映画をずっと見てきて映画を愛してる人ももちろん必要だと思うし、一方で普段映画を観ない人が審査員にいても面白いんじゃないかって思いますね、他のカルチャーの専門家とか、カルチャーに関わってなくてもいいかもしれない。いろんな背景を持った人の集合体の場で審査が行われたらどういう作品が選ばれるんだろう?って興味があります。議論は大変だと思いますけど(笑)。
ウスバ:NWは若干そういうところがあるかもしれない。「この人、NWに入ってみたはいいけど審査大変そうだな~」って思う方とかいますね。実際、私も最初はそうでしたし。NWの審査員を初めて務めた時に応募作品を観て、「え?映画ってこんな感じなん?」っていう衝撃から入ったので。
そういうショックを経て出てくるコメントの面白さはありますね。
小原:自主映画を扱う映画祭の意義ってなんだろう?と改めて考える時があります。おふたり(加藤と豊島)はどうして映画祭に出そうと思ったんですか?
加藤:初めての作品を作ったときに、どうやったら人に観てもらえるのかが分からなくて。自主映画の、しかも短編の映画が上映されている場所って映画祭くらいしか思い付かなかったから、映画祭に入選しないと映画って上映できないと思っていましたし、作って人に観てもらうにはまずどこかに応募するしかないと思ってました。
豊島:特に一作目の『泥濘む』の時、これ映画っていっていいのかな?って思っていて。今の時代って、iPhoneで動画を撮って編集するっていうのが誰でもできる時代じゃないですか。だからこそ、作ってはみたものの、『泥濘む』という作品が映画だっていえるようなものなのか全然わからないって状態で。
私はそれで「よかった!」「出来ました!」「満足!」みたいな感じだったんですけど、加藤さんが映画祭に出したいっていう意向で。結果PFFで入選して初めて人に映画作ってますって言えるようになって。
小原:えっ!そうなの?
豊島:承認を与えられたみたいな気持ちがありますね。特に私はずっと演劇をやって来たので、作ったものと人に見せる機会がセットで。
演劇はお客さんの前で披露して作品作りましたっていえる状況があるけど、映画は映画作ったってどの段階で言えるんだろう?と思っていました。
新谷:小原さんが「誰にも見せない映画があってもいい」ってよく言うじゃないですか。そういう自分だけの映画があってもいいけど、でもどこかの誰かに見てほしいと思ったときに、まず受け止められる公の場として映画祭はあるような気がします。
いまの『泥濘む』の話のように、映画を作ったけどどうしたらいいのか分からない、面白いのかもわからない、けど映画祭に投げればだれかが見てくれる。映画という投壜(とうびん)通信を受け取る最初の網として映画祭はあるのかもしれない。
小原:そもそもの前提として、自主映画を審査する意味とかを映画祭側が言葉で深掘りしていくような状況がもっとあってもいいと思う。あるんだろうけど、一つオフィシャルな態度としてもっと見えてくると、それぞれの映画祭の特性も深い場所から見えてくるだろうし、作り手側も応募しやすいのではと思うけど、(加藤と豊島に)実際どう思います?
加藤:こういう風に審査をしています、とかこんな特性のある映画祭です、という指針みたいなものが言葉で明示されていると、わたしは応募しやすいかなと思います。一方で、それが映画というものを固定しかねないかなとも思うので、めちゃくちゃ細かく指定されちゃうとまた難しいのかもしれないな〜とは思いますけど。でも例えば基準が明確に提示されている映画祭に対しては、自分の作品が選ばれなかったときに、その映画祭の特性には当てはまらなかったんだなと思えたり、逆に選ばれたときにすごくフィットしたりするかもしれないですね。きっと映画祭の方達もただ選んだ映画を上映するっていうだけじゃないのだろうと思いますし。
どの映画祭も参加してみて、ようやく、こんな映画祭だったんだ〜って、なんとなくの雰囲気が掴めるくらいなので、参加するまで少し不安に思うところもありますしね。
ウスバ:最近NWに来ていただく方にちょいちょい「NWで上映してほしかったので嬉しいです」って、お世辞の可能性は大いにあるにせよ(笑)言ってもらえることが、自分が活動しているこの3,4年の間にも増えたんです。
そう思ってくれることは嬉しい一方で、作り手側が感じているTAMA NEW WAVEの特色というものが何かしらあるんだろうけど、それが何なのか自分の中ではまだはっきり見えていなくて。今後も続けていけば分かることなんだろうなって思うんですけど。
澤山:田辺弁慶映画祭は基本商業映画の映画祭という括りになっているんですけど、作品を応募する人達もその辺を考えている人ばかりじゃないから、急に選ばれて「どうしよう?」となる人もいる。
でも10年以上続けているとやっぱりいろんな人がでてきて。それは田辺で賞をとって脚光を浴びるってことではなくて、気が付けば賞をとった人がいい映画を撮っているという流れがある。
小原:それぞれが映画祭に関わってきた経験の中で、自主映画の魅力って改めてなんだと思います?
澤山:作り手がその時に描きたいことが、その思いに忠実に自由に表現されていることですかね。その時に作品にしなければならないという熱量が素晴らしい。反面、その作品で燃え尽きることも多いですが…。
映画鑑賞がきっかけで映画作りを始める人と最初から映画作りから始める人がいて、それぞれが切磋琢磨して新たな動きが感じられることに魅力を感じます。
新谷:誰かから依頼を受けたり、お金を稼ぐことがメインじゃなくて、自分で作りたいから作るっていうことが先ずあることです。だから、その人のやりたいことや、映画というものをどう考えているのかが一番正直に画面に映るんだと思います。
今は学生の卒業制作も増えていて、恵まれた環境である一定のクオリティの映画を作ることは昔と比べて簡単になってきていますが、それでもわざわざ自分で撮って映画祭に送ってくるというのは一体どういうことだろうといつも考えています。
映画との向き合い方とか、映画を作っていくうえで一番核の部分が見えるのが自主映画だと思います。
ウスバ:映画に限らず何かしらのモノなりコトなりを作っている人たち全般に思うことですけど、一人なりチームなりで新しく何かを作る行為自体を私はめちゃくちゃ尊いことだなって思う。
超大作であれ自主映画であれそれは変わらないんですけど、自主映画はより、「自主」映画って言うぐらいだから、自分たちで新しい何かを作るぞっていう意志をめちゃくちゃ強く感じる。作品自体がちょっと荒いとか、正直あんまり自分の好みじゃなくても、それとは別に、「この人たちはこういうことしたかったんだろうな」っていうのが伝わってきた時に、トライしている過程そのものが良いなって思うことはめちゃくちゃあります。あと、実際にNWで選ばせていただいた作品に関わっている方々とお話すると、創作に対する熱とか想いを尚更感じる。しかも映画って大体複数人で作るものじゃないですか。
一人きりでもやろうと思えばできるけど、チームでやることがほとんどだと思うので、チームで一つの目標に突っ走って無事完成させた作品をこっちに持ってきてくれたことが私はもう凄いなって思う。自主映画はそれを一からやってる感を凄く感じるんで、そこが一番魅力かもしれない。
座談会参加メンバー
協力:ぴあフィルムフェスティバル、TAMA映画フォーラム実行委員会、田辺・弁慶映画祭
企画・構成・テキスト:小原治
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