映画祭スペシャル座談会/後編

ポレポレ東中野にて5月14日〜 絶賛公開中の映画『距ててて』!

その公開を記念し、『距ててて』が入選した3つの映画祭【ぴあフィルムフェスティバル】【TAMA NEW WAVE】【田辺・弁慶映画祭】の関係者をお招きしてのスペシャル座談会を実施しました!


ご参加いただいたのは、ぴあフィルムフェスティバルから新谷和輝さん、TAMA NEW WAVEからウスバアミさん、田辺・弁慶映画祭から澤山恵次さんの3名。


自主映画界を彩るそれぞれの映画祭の魅力とは?

そしてカラーの異なる3つの映画祭で入選した『距ててて』の魅力とは?


後編!

<前編はこちら>



小原:今日みなさんの話を聞いて、こうして3つの映画祭に『距ててて』が入選したって改めて凄いと思ったんですけど、それぞれの審査会議ではどういう評価だったんですか?議論が割れたとか?


新谷:じつはPFFでは最初の2次審査のリストに『距ててて』はありませんでした。でも、2日間ある2次審査の1日目が終わった後にディレクターがセレクションメンバーに「これは見てほしい」と言ってきたんです。一次審査で落ちそうになった作品でも「やっぱりあの作品には何かあるんじゃないか」と思ったセレクションメンバーがディレクターにかけあって、それをディレクターが見て2次で全員で見るかどうかを判断するペンディングという仕組みがあります。

同時に、1次審査の討議を聞く中で、ディレクターが気になった作品を自主的に見る「自主ペンディング」というものもあり、『距ててて』はここから2次審査対象の作品に加えられました。僕も2次審査の一日目が終わった夜に見て、「面白いな」と思って、次の日の審査会議でぜひ入れましょうって推したら、五十嵐(耕平)さんや他にも推す人がいました。


小原:それが最終的に観客賞も受賞して、劇場公開もされるというところにストーリーを感じてしまう。


新谷:劇的ですね。




ウスバ:たぶんこれオフレコになっちゃうんですけど、TAMAの場合はコンペを5~6本ぐらい決める段階で『距ててて』は最初から候補に入っていました。会議の序盤では気を使いつつ否定する人もゴリ推しする人もいない状態だったけど、会議が進むにつれて、実は『距ててて』にハマっていた人たちがじわじわと推し始めるといった感じになって。

うちのディレクターはめっちゃハマってました。これもオフレコですけど。


加藤:それ、電話で伝えてもらってめっちゃ嬉しかったです。凄い盛り上がりましたって。


澤山:田辺・弁慶映画祭は入選作品決定に関わる個々の作品の評価は公表していないらしいのですが、僕の立場から言うと、キネマイスター審査員でこれを激オシする人はいなかった。僕ら上の世代で映画検定1級の人たちは昔ながらのものしか見ていない、完全にオールドスクールなんですよ。

だから自主を見てどう思う?となった場合、う~んってなることもあるかもしれない。


小原:でも、そんな葛藤を抱えることで見えてくる壁もあって。それは審査する側にとっても重要な壁だと思う。


澤山:初めて審査員をやった時に感じたのは、こっちがその周辺の事情(自主映画の状況)を知らないと正しい判断ができないなって思った。なんでも見ようってレンジが広がった。田辺で入選した作品の中から賞を選ぶとき、そこで初見で見て感じたまま評価するってこともいいんでしょうけど、それじゃ語れないという気がしたんですね。

そうすると関連しているものをどんどん見ていった方がいいなって思うようになりましたね。





小原:みなさんは『距ててて』のどこに魅せられました?


ウスバ:アコとサンがやりたいような生活を勝ち取っていく感にぐっときました。


小原:自由を巡る2人の言い合いのシーンはこの作品の肝とも言える。


ウスバ:終盤までは2人はずっと気まずそうで、やってることはオフビートなコメディみたいな感じなのに、どこか息苦しいというか。

2人はそれぞれフリーターと駆け出しのフォトグラファーとして働いているけど、マジョリティな日本の現代社会から言えばあまりよしとはされない生き方かもしれない。

でも映画の中の2人は別にそういうのはどうでもよくて、自由に時間を使えるとか、自分のやりたいことで食べていくとかいうのを人生にとって有意義なこととして最優先している。

そこに生きる上での確固たる意思を静かに感じたし、映画の中に一人一人の人間が生きている感じが伝わってくるというか。私も元気をもらえた。


澤山:僕はこの家ありきの映画という部分で色々だんだん分かってきて。この家から生まれているものっていうのが自分の中でも勝手に感じるものがあって、いろんなことがあり得る場所として。

だからラストのあのシーンも、この家だったら起こり得るというのを今日ここに来て改めて思いましたね。


加藤:先に人と場所が決まっているところから映画づくりも始まって。

この家があったから同居する2人がイメージとしてあったし、ここに尋ねる人も沸いてきたし、例えばお風呂場が鮮やかでかわいいのでどっかに入れたいよねってことで3章の冒頭にお風呂を洗うシーンがあったり。

この家じゃないと生まれてこなかった話がベースにありますね。


豊島:この家のすりガラスを見た時に、ここから澪ちゃん(フー役)が背伸びして覗いていたらかわいいだろうなって。この窓じゃないと思いつかなかったし、あそこに鏡があったからこそ、そこに映るフーちゃんをアコが見つけるという演出が出てきたわけだし。


新谷:他人同士が同じ空間にいることや誰かと一緒に生活することの可能性がこういうふうに描けるのが面白いです。

最初は3人で住んでいたのが1人抜けて、「わたしとあなた」っていう関係になってごにゃごにゃしちゃうけど、実は2人だけの関係性じゃなくて、2人の間にはああいう妖怪みたいな人達がいたり、お爺ちゃんの石とか、いろんな変なものがある。その中でいろんな可能性があるんだってことを見せてくれた。

僕たちが誰かと一緒にいるのも当たり前ではなくて、ちょっと見方をずらせばちがうふうに見えるかもしれない。


小原:映画を観る側の癖として、登場人物のその人らしさを勝手に決めつけてしまうってことがあると思うけど、これはその癖が外される喜びがある。


新谷:この作品は役者をやっている2人、加藤さんと豊島さんが自分たちで監督・脚本もやっているのが特徴です。最近、役者さんが監督をする自主映画も増えているけど、正直、内輪的なものも多いです。自分たちの演技のアウトプットが頭の中にしっかりあるから伸びがないことがあり、そういう映画は見ていてきついです。

でも、『距ててて』はよく知った仲の人のいいところを突き合わせつつ、今はまだない何か新しいものを映画から生み出そうとしているのが印象的でした。

作中の2人の関係性は、この映画を作っている加藤さんと豊島さんの関係そのものへとトレースできるし、一緒に映画を作ることは、今ある2人のあり方だけではなく、ちょっと冒険的な、何か違うところにジャンプしようとする行為なのかも。


ウスバ:もともと3人で暮らしていた中で、一人が海外に行ってずっと帰ってこられなくなっちゃって。その人の設定や人物像って、どこまで決めてたんですか?


豊島:名前はここの家主さんから拝借しました。性格とかはぼんやりとしか考えてないですけど、設定としては、当時私の兄がニュージーランドに住んでいたんですけど、ちょうどコロナになって、一人感染者が出ただけでロックダウンになったりとか、そういう話は実際に兄が帰ってこれるこれないに関わることなので聞いていて。そこのイメージが強かったですね。




新谷:この作品は4章仕立てのオムニバスというか短編集で、見た当時は新しいと思ったけど、ロメールの映画がそうだし、最近は濱口竜介さんもやっていることだなと気づきました。ある程度の固定メンバーと一緒に、できる時にできる映画を撮っていく、そういう自分たちのペースで作っていく自主映画の強みが表れていると思いました。

映画史の伝統にも入りつつ、新しいこともやってるんだろうなって。


小原:こういう作り方が今後ますますオーソドックスになっていくかもしれない。


新谷:現実が異世界に見えるような感じも「生活感」として馴染んでますね。

いとうせいこうさんがコメントに書いてあった「生活感」という感じがよくわかる。こういう作り方だからそうなったんだろうと思いました。


小原:生活感ってつまり「人間的な感情」のことで。どっかで鳴ってる音楽に調子がくるってイライラしたり、でもそんなアコが気付けば彼らと一緒に演奏を楽しんでたり、第3章では結果的に本当に起きていたかどうかも分からないあの状況の中で「美味しい」っていう人間的な感情が取り出されていたり。取り出す感情そのものより、人の手に負えない何か大きな流れのようなものの中にそれが取り出されているのがこの作品の味わい。

更には、人と人とのずれやはみ出す部分がより大きなもので包まれる瞬間が、一緒に演奏したり、一緒にご飯を食べたりしている時に生まれていて、そういうところでも「人間」を描いている作品だと思う。


ウスバ:不思議な世界なのに妙にリアリティがある、そのギャップが面白かったです。


小原:特に好きな章ってあります?


新谷:4章は好きですね。


澤山・ウスバ:ですね。


ウスバ:NWの審査って、オンラインフォーマットで送っていただいたものをパソコンなりスマホなりテレビでつなげて見たりしているんですけど、自分含め複数名が「あのシーンはでかいスクリーンで観たらやばいよね」って話になって。

実際にコンペティションで流して、やっぱ映えるわ~ってなって(笑)。


澤山:田辺でもでかいスクリーンで上映して、あれはすばらしかった。見る人の心が奪われる。

あれを人力でやってるって聞いたんで尚更。最近だとCG処理でできちゃうけど、アナログな形であれを成立させているっていうのが素晴らしいなと思った。

小原:僕は3章が好き。異様な世界に片足突っ込んでるけど、それが本当にあったことかもどうかもわからない曖昧さが4章との対比の中に描かれている。条理を超えた先にある世界というか。

ちょっと昔話的というか。


ウスバ:2回目観た時に、3章がめちゃくちゃ怖く感じて。ホラーじゃないけど、私もリアルとは離れた要素を強く感じて。


澤山:あのお母さん怖いですよね(笑)ちゃんとしてるんだけど得体が知れない。


ウスバ:そうそうそう(笑)、あのお母さんマジで怖い。


新谷:3章に限らず、全体的に人間が生々しいというか、ちょっと気色悪いというか。

1章の不動産屋の男も2章のカップルもなんか不気味にねとっとした感じがしましたけど、あれはどこまで意識してるんですか?


豊島:私たちも人間のそういう部分が好きで。人が時折見せるそういう瞬間に私は結構キタキタキターってなる。(笑)


加藤:その人だからこその距離感の取り方みたいなのが凄く面白いなと思っていて。物語的に言うと、アコとサンがお互い踏み込まないからこそ、外の人たちがどんどん踏み込んでくる。それぞれの距離感で人と接しているところが実生活でも結構あるよなって。

さっき言ってくれた「印象が変わる」っていうのも、人は多面性を持っているし、私も自覚的に自分は多面性を持っていると思っているので、一辺倒じゃない人を描きたいというのはずっとあります。

澤山:系列として池田暁さんに近いところがあるんですよ、去年だと『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』とか、水木しげると小津を足したような映画を撮ってるんですけど。完全にあっち側に行っちゃってる映画で。架空の町で起きているという独特の世界観があるんですけど、一方で『距ててて』はそこまで行っちゃわない。

現実が踏み止まってる感じがむしろ特徴的で。


小原:現実が踏み止まってる―言い得て妙の視座ですね。


澤山;それがこの家ありきの映画だということとも関係しているのかもしれないなと、今日ここに来て思いました。

ここはいろんな入口や出口があって、それがいろんなところにも繋がっていて。だから(劇中の)ああいう人も入ってきてしまう。


豊島:今聞いてて思ったのは、家の中と外を出入りしている猫ちゃんがいるんですけど、その存在って、地下の床下を通って外にも行けるし、かと思ったら目の前をひゅーっと通り過ぎたり、上でカタカタと音がしたりとか。

そういう猫の気配も作品にもしかしたら影響を与えているかもしれない。気配っていうものに私は興味があって。


小原:画面の中に一切登場していない存在が映画作りに影響を与えていることってありますよね。

澤山:2章のカップルの会話の言葉は翻訳された元の言葉があるのか?感覚的に沸いてきた言葉なのか?

あのシーンがどうやって生まれたのか改めて聞きたいと思って。


豊島:あの章は俳優さんありきで立ち上がってきた話で。髙羽君という俳優さんが普段から佇まいがチャーミングで、独特のテンポ感もあって。あのカップルは設定上口下手な人ということにはなっているけど、2人にしかない共通言語を映画でやりたくて。

私、言葉のリズムとか、詩が好きで、書いていったらああなった。


澤山:あの言葉選びで2人のやり取りを成立させているのが凄いんですよ。


小原:『距ててて』というタイトル自体が特異なリズムで。


豊島:タイトルは加藤さんのセンスです。


加藤:一般的にへだてると書くと、「隔てる」となるんだけど、この文字を使ってしまうとどうしてもコロナの要素が強くなってしまって。画面にもコロナの世界が映ってはいるので、それとは違う「距」を使いました。

へだてててという言葉の響きも含めて、ちょっと引っ掛かりのあるタイトルをつけたかったし、見た目とか、意味の多様さとか、広がり方とか、それらが全体にまぶされるような言葉がいいなって思ってこのタイトルにしました。


ウスバ:ほんとタイトルいいですよね。字面もいいし、語呂も面白いし。

ウスバ:ものすごく細かいワンシーンとか思い浮かんできて。例えば、1章でサンが演奏してるアコーディオンの音に「うるさいな」と思いながらアコが洗濯物を取りこんで畳んでいくシーン。洗濯物干しから一個ずつ外してちょっとずつ畳んでいて、「一気に全部持ってきてやればいいのに!(笑)」って思って。

2回目を観ると、そういう細かいところに目がいっちゃう。人物像の描写がへんに歪なところとか他にもあったと思うんですけど、そこが面白くて、ひっかかる部分があって、その蓄積で自分はこの作品を気に入ってるのかなって思って。


小原:確かにそんなシーンがたくさんあるかも。


新谷:豊島さんが石を探しに山の急斜面を駆け登るシーンも感動しました(笑)。


一同:笑


新谷:動きがなんか急に獣?のようになって、マジか!?って驚きました。でも結構板についてましたね。


加藤:豊島さんは元陸上部で、走りがホントにきれいなんです。そういうシーンを入れたくて。


豊島:足腰には自信があります。(笑)

私の友達に石拾いをずっとしている人がいて、実際に映画に出てくるあの綺麗な石もその子から借りたんですけど、どういうところにこんな石あるの?と聞いたら、山の中で「え?ここ登るの?」って感じの、道からそれた斜面とかのぼるって言われて。その時にストックとか使うの?と聞いたら、いや、色んな枝とか掴みながらよじ登っていくって言われて。


ウスバ:その人が凄いですね(笑)。


豊島:それやりたい!ってなって(笑)。意外とあの石拾いのシーンは取材に沿ってやってるんです。


小原:まさかの取材(笑)。誰かのリアルな経験則から映画のヒントが生まれるって面白いですね。

(座談会開始から4時間経過)



小原:そろそろ締めようと思うんですけど(笑)、最後に何かあります?


加藤:映画上映するんですよって人にいうと、「どんな映画なんですか?」って聞かれるんですけど、それを端的に伝えるのがすごく難しくて。

今日も話題に上げてもらってましたけど、私たち2人で企画して、2人で主演して、そうした製作の過程も面白がっていただいている実感もあって。

ただそういうことを抜きにして、いや、入れてもらってもいいんですけど、この作品を一言で表すなら?


小原:最後に一番難しい質問きた(笑)。


ウスバ:(しばらく考え込んで)今日この座談会のために仕事を早めに切り上げたんですけど、上司に「どんな映画なの?」って聞かれて、雑な説明にはなるんですけど、「なんか変だけどめっちゃおもしろいことをやっている映画」って言いました。

現実離れしているような不思議なことをずっとやってるのに、変な生々しさとかリアリティがあって。これが映画を端的に表す言葉だとは思わないけど。


澤山:「変な」って入れたくないんですよ。「変な」って言うと簡単なんですよ。でもその変じゃないんですよ。じゃあどの変なんだろうっていうのはちょっと考えます。


小原:自由に手を伸ばそうとしている映画だとは思う。

映画にとって100パーセント自由な表現なんてないけど、その中にああいう展開もあって、でもあれが単なる自由な表現かといえばそうじゃなくて。

それまでの一つ一つの積み重ねのうえで成立しているシーンだし、その積み重ねを経て自由に手を伸ばそうとしている。


ウスバ:のびのびしていると思いましたね。

今日お二人(加藤と豊島)と実際に会って話したから尚更そう思ったし、気持ちのいい感じ。自由にやってるなーっていう面白さはありますね。


新谷:「再発見」という感触はあります。見慣れたはずものが新しく見えるというか、忘れてしまった秘密みたいなものと出会い直すというか、そういう映画だなって思ってます。

ウスバ:でも今日お話伺ってる時点でこんな違うんだって。


新谷:違った方が面白いですよ。


澤山:違うけれど結果的にいろんな映画祭に入選してるってのが面白いですね。


ウスバ:今日、人の感想を聞いて、何か「わー」ってなりました。公式サイトとかに寄稿されているいろんな方のコメントを読んだ時もそうですけど、ホント、そうよな~って(笑)。


一同:笑


加藤:私は人から感想をいただくと、わ~そんなふうに見るんだーって新鮮な驚きが毎回あって。自分たちで作ったはずなのに、想像外のところに連れて行ってもらえる感じというか。

もちろん自分でも、なるべく色んな捉え方が出来るようにって意識して作ってる部分はあるんですけど、そうじゃないものを受け取ってもらえる可能性が多々あるっていうのが、映画ってもの凄い豊かだなって。


小原:『距ててて』を観た後に散歩したんです。すると、路地裏で一個の石に目に留まって、手に取ったんですよ。なんてことのないその石の形が、その時は素敵に思えて。

この映画を観た後じゃなかったら、その石を手にすることはなかった。こうした不思議な巡り会わせは、この世界の至る所に目に見えない霧のようにまぶされていて。

劇中の出来事になぞっていえば、不意に届けられる手紙を受け取るようなことで。僕が路地裏で手にした石が形を変えた手紙のようなことで。何が言いたいかというと(笑)、僕らが生きているこの現実が唯一の形ではないことを証明するために人は映画という絵空事を作るんだなって改めて思いました。


加藤:観た方の人生がわたしたちの作品に乗っかって、何かを発掘してもらうようなイメージを感じています。

だから今回のポレポレでの劇場公開から始まる上映も、たくさんの方に観ていただいて、多様な感想を聞けると思うとものすごく楽しみです。


豊島:そうですね、観た方それぞれの中でどんな物語が生まれたのか、ぜひ話を聞いてみたいなと思います。



(収録:2022年4月7日 『距ててて』舞台の一軒家にて)




座談会参加メンバー

協力:ぴあフィルムフェスティバル、TAMA映画フォーラム実行委員会、田辺・弁慶映画祭

企画・構成・テキスト:小原治

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